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ネット上での情報共有にもう疲れてしまった

こんにちは、わかつき(@tsubasa_waka)です。

 

 

2017年はフェイクニュースが話題になっていましたが、それに関して思っていたことがあります。

 

インターネット上での"単なる情報共有"は限界まで来てしまった

 

インターネット上で取り扱われる情報の限界量の話ではなく、いち人間が受けきれる情報量が限界にきてしまっている気がします。

 

紙の時代からインターネットの時代になり触れる情報量が増え、SNSの時代になり触れるだけでなく発信できる情報量が圧倒的に増えました。

 

 

組織のあり方や個人の生き方が良い意味で大きく変化した一方で、可処分時間の奪い合いが表面化してきています。

 

YouTuberの動画も細切れのテンポが良い動画増えたり、Facebook上での動画も最初の10秒でユーザーは飽きてしまっています。流行りのMusicallyなんか早送り動画が基本です。

toyokeizai.net

 

 

少し前はSNS疲れが騒がれ、昨年はフェイクニュースが話題になり、単なる"事実の共有"はもう疲れた。なにが真実かわからないですし。

 

 

 

 

感情や感覚の共有へシフトしている

 

 

Facebook社は昨年、「コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する」という新ミッションを発表しました。

 

「人と人との繋がりをサポートし、よりオープンで繋がった世界を実現する」というこれまでのミッションをさらに進化させ、「ただ繋げるのではなく、人と人がより身近になるような世界を実現することに注力する必要があります」と話しました。

引用:

Facebookの新ミッションは「コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する」-「コミュニティサミット」を初開催、グループ管理者のための新機能も発表- | Facebookニュースルーム

 

 

また、企業ページの投稿より、友人の投稿を優先的に表示させるように、アルゴリズムを変化させつづけています。

jp.techcrunch.com

 

 

 

単なる情報共有から、感情や感覚、熱狂の共有へとシフトしているように思えます。(これまでのFacebookは、友人の事実としての情報がただ共有されるだけだった、だからSNS疲れを生んだと思う)

 

 

Facebook社がライブ配信に力を入れているのも(Instagarmでストーリーズに力を入れているのもそう)、飾らない(編集されない)ありのままの姿を共有することに重きをおいて、その人の感情だったり感覚的なところ、情報の余白ぶぶんを人は楽しむようになっています。

 

同社がVRを次の注力領域にしているのも、デジタル上の感覚をハックすることの表れかと。

 

 

感覚的な"あれ""それ"の共有、スポーツやライブの一瞬の熱狂の共有

 

要するに、リアルで体験していることがインターネット上(デジタル上)で最適化されて再現されてきていますよねと。

 

 

大学入学してはじめましての人と出会ったとき、会話の最初は出身や趣味のような"単なる情報の共有"からはじまり、慣れてきたらだんだん「あれ!いいよね!」「あの感じ素敵」みたいに感覚的に話すようになりますよね。

 

 

Facebookをはじめとするプラットフォーマーの動向をみていると、知り合いから友人にフェーズが変わるその時期な気がしています。

 

エモさの流行とか、まさにそうかと。

 

 

最後に

 

いまがちょうどいい移行期で、変革が多い時期になってきているなぁと思います。

 

 

情報共有による不便の解決から、感動共有による新しい価値の創出へ。

 

この辺もテーマにいろいろ見ていこうと思います。