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VRが描く未来で考える、「人間らしさ」

こんにちは、わかつき(@tsubasa_waka)です。

 

最近VRに関する記事を書いたりVRに注目しているわけですが、その理由のひとつがFacebook社が力を入れている領域だからです。

 

先日のWIREDの記事でも、CEOのザッカーバーグが自らFacebook社が描くVRの未来を語っています。(WIRED:ザッカーバーグらが語る「FacebookがVRで描く未来図」

 

今日は、そんなVRが発達した未来について考えてみたいと思います。

 

 

VRの仮想空間では、現実世界の全てを再現できるのか

VRの魅力といえば、ゲームや映画の世界を仮想空間内に再現して、まるで実際に見て、聴いて、感じているような体験ができるようになることです。

 

考えるだけでワクワクしますが、それだけでなく記事の中でザッカーバーグは、

「もっとも素晴らしいのは、仮想世界に他人が入った瞬間、そこが『ソーシャルな場』になるということです」-引用:ザッカーバーグらが語る「FacebookがVRで描く未来図」

と、VRが持つソーシャルプラットフォームとしてのポテンシャルについて語っています。Facebookとつなげることで、仮想空間内に現実世界の関係性も再現することができるような。

 

また、

ヴァーチャル空間で卓球を行っている間、ザッカーバーグインドネシアのウィドド大統領は部分的ではあるが、互いに“触れ合えた”のだ。-引用:ザッカーバーグらが語る「FacebookがVRで描く未来図」

と語られているように、現実世界で感じられている五感がVRがつくる仮想空間内でどんどん再現できるようになってきます。遠く離れている家族が、さも隣にいるような感覚で接することができるようになるかもしれないのです。

 

そこで思うのは、仮想空間内に五感を含め現実世界を完璧に再現できたら、極端に言えば現実世界の価値がなくなってしまうしまうのではないか?ということ。VRの仮想空間に入ることで妄想世界も現実世界も両方体験できるようになれば、現実世界に出る必要が少なくなってしまうのではないかと。

 

結論からいうと、僕は「そんなことはない、仮想空間では再現できないものがある」と思っています。

 

 

人間が持つ第六感は仮想空間では再現できない

ちょっとスピリチュアルな話になりそうですが、「五感以外で感じ取れるもの」のシンプルな意味です笑。

 

実家に帰ったときのホッとする感覚、長年連れ添った夫婦の阿吽の呼吸、なんかはVRの仮想空間内では再現できないと思っています。「生身の人が目の前に存在しているからこそ得られる感覚」だけは残り続けていくと思うのです。

 

テクノロジーの発達でコミュニケーションのあり方が大きく変化する中で、目の前の人との第六感的コミュニケーションはなくならない、だからこそ重視していかなければならないのではないかと思います。

 

 

テクノロジーの発達の中で、自分は何ができるかを考えていきたい

若干臭い結論になりましたが笑、テクノロジーが急速に発展するいまこそ考えていくべきことです。

 

例えば、AI(人工知能)の発達で今の仕事のほとんどが20年後にはなくなってしまう、なんて話もあります。そこで仕事がなくなってしまう世界に悲観するのではなく、「じゃあそこで自分は何ができるのか」を考え続けることが、自分が仕事を失わずに済むだけでなく、社会の発展の上で大切なのではないでしょうか。

 

最後若干重いのか軽いのかわからない話になりました、こんなところで。

それでは!