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社会人4年目の最初に考えた「学ぶ力」の前半と後半の話

社会人4年目が始まりました。

 

最近ちょろちょろ考えていたことを書きます。

 

 

最近、新しいことにチャレンジしても意味ないなぁとよく思います。

 

もちろんちゃんと意図があって、「学びなきチャレンジ」にはあまり意味がない。チャレンジする対象云々ではなく、チャレンジする当人に学ぶ力がないと、そのチャレンジは意味を持たない。

 

 

 

学ぶ力があるのかどうか

経験から学び自分だけのノウハウにできるか否か

 

学びのないやりっぱなしの経験は、トイレをすますくらい無意識な経験として流されてしまうのではないか。

 

いやいや、経験そのものは無意識なれど深層心理の中に蓄積されていてとあるきっかけで呼び起こされる「点と点が線」的な話があるじゃないか、とも思いますが、それは「長期的にはそういうこともある」わけで、短中期的には学びありきでないと。

 

 

できる人は何やってもできるし、できない人は何やってもできない」というのは学ぶ力が高いか低いか。サイヤ人か否かっていうことだけですよね。それが重要なんですが笑。

 

 

実はここ数日、「学ぶ力」を前半と後半にわけて考えていてモヤついていたので、書きなぐりで整理しようと思ったわけです笑

 

 

 

学ぶ力の前半部分と後半部分

 

まず、学ぶ力の前半部分。

 

初めてのことでも飲み込みが早い人がいます。理解力が高いとも言いますね。

初めてのことを自分の経験に基づく独自の数式(成功法則、直感的判断、なんでもいい)にすぐ当てはめる力が高いのだと思います。自分の得意領域に置き換えると言ってもいいかもしれません。

 

ただ、初めてのことが自分独自の数式の領域と全く違うと、全然対応できなくなる人がいます。できる人は自分の領域に変換することができるのですが、できない人はできない。

 

モノゴトが自分の中に入ってくる際にどれだけ正確に取り入れられるかっていう力。

「話聞いてた?」「教えたのになぜできないの?」とかよく言われる人は、学ぶ力の前半部分が低いかもしれません(教える側のスキルはここでは加味していません笑)

 

 

つづいて、学ぶ力の後半部分。

 

また、初めて経験したことを、次の機会に活かせる人とそうでない人がいます。

大枠2パターンがあって。

まず、初めて経験したAとよく似た次の経験Bの際に、Aを活かせる人とそうでない人。(毎回同じことで怒られる人は鍛錬が必要です。)

 

 

次に、初めて経験したAとまったく違う次の経験Cに、Aを活かせる人とそうでない人。これができる人は、何をやってもうまくいく人だと思います。

 

 

中段で書いた「できる人は何やってもできるし、できない人は何やってもできない」というのを学ぶ力の後半部分だけで語られることが多い気がしますが(経験から学べる人は云々〜、応用力云々〜〜)、

 

結局学ぶ力の前半後半両方高い方がいいに決まってるっていう話です笑。

 

 

最後に

 

社会人4年目になると、意外と学ぶ力の前半部分が疎かになってるんじゃないかなと感じていて、ガチで自戒を込めて書きました。

他人の話がわからないのは、自分の理解力が低いからだよって。

 

 

上司や部下後輩からの話をちゃんと正確に捉えられていますか?

 

 

それでは。

 

P.S.

新天地の三軒茶屋生活はすこぶる快適です。近いって最高!(アイキャッチ画像は三浦海岸ですが笑)