自分なりの幸せも大事だけどあえて他人との差を実感したほうがいい時
こんにちは、わかつき(@tsubasa_waka)です。
そろそろ社会人生活も3年目が終わるところです。大学に5年間いたので同い年の人は本来4年目が終わり5年目に突入するところ。
そこで最近目につくのが、今まで以上に人との差が明確になっているということ。「差」という表現より「違い」という表現の方が明確か。
大卒後の第一次結婚ラッシュに昇進に転職や独立話。
人生の大きな転機を迎えた友人も多いです。早いタイミングで自分の道を決めた人(公私問わず)はその道に費やす時間が多くなり、その積み重ねが社会人3~4年目に「違い」となって表れています。
それが良い悪いではなく単なる(タイミングの)「違い」なだけだと思っていて、要は「人生それぞれ」というだけの話です。ここで相手と比較してしまうと単なる「違い」が「差」に感じてしまって、変な劣等感や嫉妬心を持ってしまいます。
(明確でなくても)選んだ道が違うんだから、「差」として認知するのではなく「違い」として受け入れて、自分の人生を謳歌することが大切で。自分の中の幸せの尺度を定義できている人はそれだけで幸せです。
本質的に言いたいことは「人生はみんな違ってみんないい」ということなんですが、あえて相手を競争相手に見立てて「差」として認知すると良いこともあります。
というのは、自分が選んだ道と同じような道を歩んでいる人(業界なのか生き方なのか)とは、自分の現状を客観的に理解するために「差」を感じた方がいい。
「差」をみて自分が思っていた立ち位置にいるのかいないのか。いないのであれば、何が足りないのか、何をすべきなのか。そのために誰からアドバイスをもらうのか。
「差」を感じて一喜一憂するのではなく、あくまで自分を客観評価するための比較材料としてみること。
僕のことを話すと、三浦海岸に移住してからの2年間で、元々志していた道(領域)のプレイヤーから少し置いてかれてしまったと思っています。(三浦海岸の生活を否定するわけではなくあくまで自分のキャリアを考えた上での客観評価で、三浦海岸の生活それ自体はQOL高くとても充実していました。)
東京戻ったらまた頑張ろうと思うのです。