ブログで未来の自分を触発させたい
こんにちは、わかつき(@tsubasa_waka)です。
今日は仕事が長引いた関係で、終電にかけこんで品川でなんとか座れた電車でこのブログを書き始めました。いまは23:40笑。
さて、ここ最近ネット業界だけならず世間で話題になっているキュレーションメディアの品質問題。普段からメディアに触れる人間としては深く考えなければいけない問題です。
分析する記事がたくさん出る中で、Pocketに保存していたもう4年も前の記事を再読しました。
Webのキュレーションに価値はあるのか--編集者・菅付雅信さんが語る
改めて勉強になりましたし、このブログの目指すところ、というと大げさですが、特にここ最近の考えを整理しようと思います。
創作・クリエーションは読者を触発すること
パクリ記事が問題になっていますが、そもそもオリジナリティとはなんなのか。記事から引用します。
オリジナリティは永遠の議論。アートだろうが、広告だろうが、100%オリジナルは存在しません。必ず何かの影響は受けています。編集におけるオリジナリティは付加価値かもしれない。人間は料理をする動物。どんな人種だろうが必ず味をつけます。同じように編集は情報を料理して人に食べさせる行為。味をつける、おいしくするところに価値があります。
引用:http://tokyo-edit.net/archives/17542080.html
ただ記事をコピペして終わり、ではなくそれを通じて自分は何を伝えたいのか。受け手にどのようなメッセージを伝えて、どうなってほしいのか。メディアを運営する上ではそこまで考える必要があります。
また、メディアの分類に関して、勉強になるなぁと改めて思ったので引用します。
メディアの役割は2つあります。1つは報道で、2つ目は創作・クリエーション。報道は伝達行為。創作は触発行為。伝達と触発は重なるが違う。伝達は事実で、触発は主観的。それらは異なる行為です。クリエイターは触発屋であり、編集者とかキュレーターも触発側にいます。触発とは、受け手の想像力を広げること。一方で伝達は広げちゃダメ。
引用:http://tokyo-edit.net/archives/17542080.html
なるほど。
話題になっているキュレーションメディアの問題は、報道の面で見ても情報に不備があり、創作・クリエーションの面でも不足していたところが大きいでしょう。
上記をふまえて、僕のブログメディア(あえてメディアと言います)は、どちらかというと創作・クリエーション側、触発屋でいたいと思っています。
触発させる相手は何よりも自分
では誰を触発させたいのか。それはすなわち、僕自身です。
僕は最近このブログを、ある事象に対して自分の考えを深めるために書いています。
世の中に起きている事象は全員にとって平等に同じなのに、人によってその捉え方と消化、次の行動への転換に大きく差が出ます。
もっといえば、平等に24時間与えられているのに、人によって成果がまったくちがいます。逆を言えば、濃ゆく過ごすことができれば、どんどん新しい世界を見ることができます。
僕はどちらかというと悪い意味で淡々と興味なさげに過ごしてきたので、このブログを使って改善していきたい。稚拙でもいいから今の考えを書き記して、あとで振り返った時に気づきを得たい。次の行動に活かしたい。
未来の自分を触発するためにこのブログを書いている、というのがしばらくの僕の執筆方針です。
最後に
今日は時間もなかったということもありますが、連日ブログを更新しつづける中で再考していたことでもあるので、ささっと書いてみました。
それでは