自分の楽しさの原点を知る
こんにちは、わかつき(@tsubasa_waka)です。
先日、某友達とプライベートでDJイベントを主催しました。といってもそんな大それたものじゃなく、友達の友達までを呼んで50〜60人くらいでワイワイ楽しくはしゃごうといったものです。
おかげさまで大盛況のうちに終わり、参加者の方からも口々に楽しかったと言っていただきました。主催者、DJVJ陣もみんな満足し、ひじょ〜〜〜〜に楽しいイベントでした。ありがとうございました。
そんな楽しい経験をしたからなのか、少し「自分が感じる楽しさ」について整理したくなってみたので書きたいと思います。
楽なことが楽しいわけじゃない
「不労所得を得て、自由で楽しい生活を手に入れよう」という価値観があります。ちょっとだけ僕が苦手な価値観です。DJイベントやっといて何言ってんだと思われそうですが笑。
文字通りの全てが苦手なわけではなくて、具体的には「働かなくて良いくらいの不労所得を得て、派手に遊んで楽しく暮らそう」といったような、ちょっと前のなんとか族のような価値観でしょうか。
その人たちの価値観や生き方を否定したいわけじゃありません。
(仕事で自己実現をしたいタイプでもあるので)、僕にとっては自由に遊んで暮らすこと、もう少し掘り下げるとただ楽な時間を過ごすことが楽しいわけじゃないんです。
もちろん思いっきり遊ぶことも楽しく感じますが、楽しいと感じている"だけ"なら、経験を消費しているだけなんじゃないかと思ってしまって。
僕が楽しさを感じるのは、ひとつのモノゴトを(仲間と)作り上げていくことだったり、ひとつの目標に向かって進んでいくことなんかです。経験を積み重ねていくような感覚。
「仲間」に()をつけたのは、ひとりで何かをするときも同様に感じるからです。
今回のDJイベントのあとに感じた心地良さ
先ほどのDJイベントを考えてみます。
お酒を飲んで音楽に乗って騒いでDJやってフロアをロックして、というイベント中の体験はものすごく楽しかったです。
が、一番印象に残っているのは、翌日にイベントを思い出して感じた心地良い疲労感でした。イベントへの満足感と充実感、そしてまたやりたいなというワクワク(と二日酔い)。
当日までグループチャットしてイベントの設計やら曲の雰囲気やら考えたり集客に奔走したり、準備が楽じゃなかった分、やりきった感がすごかった。
思えばそれは、学生時代の陸上に原点があった
思えば、これは小中高と取り組んできた陸上競技と似ています。
大会までの苦しい練習、大会当日の競技と結果、翌日の振り返った時の満足感。
当時は大会の結果が良ければ嬉しくてハッピーですし、結果が悪ければ悔しくて落ち込んでいました。が、いま思えば、結果に関係なく「しっかり準備して、当日おもいっきり取り組んで、翌日余韻にひたる」という経験自体が自分にとって楽しいことだったんだなと思います。
大学入学とともに陸上競技を辞めてしまってしばらく感じた虚無感は、その経験を得られなかったからだと思います。そこから様々な活動を通して、また楽しさを感じていくわけですが。
最後に
僕が感じる「楽しさ」について書いてきました。
ただ単に楽しい時間を過ごすだけではなく、そこに到達するまでの過程と終わって振り返ったときの時間も含めて、トータルの経験が楽しい。
自分の楽しさの原点を整理すると、今後の意思決定や行動選択の際に大きく参考になりそうですね。楽しさだけでなく、自分の様々な感情を整理して分析してみるのも、日々の生活を楽しくするのに役立ちそう。
書いていて思ったのは、ここでの「僕が感じる楽しさ」の定義は、「僕が感じる充実感」というのが正確でしたね笑。
それでは。