やりきること、やり続けること。
こんにちは、わかつき(@tsubasa_waka)です。
三浦海岸の海開きシーズンは今日まで。もう夏も終わりですね、早いものです。
これは先日虹がかかったときの写真。
さて、今日は最近強く実感していることを書きたいと思います。「やりきる」ことと「やり続ける」ことに関して。
ただ「やる」だけじゃなく、きちんと「やりきる」こと
就活の時期などには、「夢や目標から逆算して行動していく」か「目の前のことに全力に取り組んだ結果、自分の道を見出していくか」とでキャリア論を語ることも多いと思います。
後者の「全力に」は「一生懸命」などと置き換えることができますが、ここがミソでただ一生懸命「やる」だけでは実はそんなに意味はありません。最初は効果的ですが、すぐに頭打ちになります。
ただ「やる」だけだと思ったほど経験にならず(単純作業なら別)、違う場面に応用しにくく、一方でその仕事で超専門家になるほど抜け切れるわけでもありません。そこで「やりきって」きちんと経験として蓄積していくことが重要です。
ただ「やる」だけでも仕事を完了させることはできるのですがそうではなく、「やりきる」というのは自分の考えやこだわりを持って仕事を完遂させること。こうすることで初めて自分の経験として蓄積されます。
仮説と検証を繰り返し学びを得て、改善して次の仕事へつなげるサイクルを回すことで一つの経験価値が高まっていきます。
これをやらないと「ただ頑張っているだけ」、もっと言えば「頑張っている"つもり"」で思った成長ができない人間になってしまいます。
本気でやりきったか否かは、その取り組んだことに対する感想でわかります。成功したら泣くほど嬉しいですし、失敗したら泣くほど悔しい。
参考:最後に負けて泣いたのはいつだったっけ|朽木誠一郎|note
「やりきる」を継続すること
こちらも同様に「やりきる」を継続することで、自分の未来が切り開かれていきます。
最初は思ってもみなかったことができるようになったり、「◯◯のことなら、あいつに聞いてみよう、頼んでみよう」となるわけです。
「やり続けること」で怖いのは、継続すること自体にある程度価値があるので、単に「やる」だけの継続でも多少成果が上がってしまうこと。
目先レベルだと成功しているように勘違いしてしまうので、取り組む姿勢が「やりきる」に変わらず、成長曲線がゆるやかなままにとどまってしまう。そして歳をとったときに、思った姿と大きく違って落ち込んでしまう。そんな気がしています。
最後に
先日開催された「Frescoball Japan Open 2016」に関わる人の動きを目の当たりにして、今日のエントリを書こうと筆をとりました。昨年一緒に普及活動をしていた人たちの姿を見て。
参考:1年の集大成〜Frescoball JAPAN OPEN 2016を振り返って〜
上記関係なくもともと感じていたことなので、これを契機にまとめてみました。
いわゆる「自戒を込めて」てやつです笑。
それでは!