「意外とやればできる」からこそ、断ち切れない
こんにちは、わかつき(@tsubasa_waka)です。
三浦海岸にある海の見えるカフェにてこの記事を書いています。
三浦海岸側は夕日が沈む海ではないのですが(その代わり朝日がとても綺麗です)、反対側の空に浮かぶ夕日が僕がいる三浦半島と対岸の房総半島を淡いピンクに染め上げて、とても綺麗です。
久しぶりに三浦の綺麗な景色に見とれながら、それでも心は奪われず考え事をしています。
さて、一昨日書いた「面白そうだけど、僕は”やらない”」の反響が思いのほか良く、友人知人から「共感した」とコメントやメッセージをいただいています。
少々驚くとともに、それ以上に「同じように考えている人はいるんだ」とある種の安心感を抱きました。ブログ書いて良かった笑。
その記事から少し拡張してみようと思います。
"やらない"も難しい、"やめる"も難しい
やはり、新しいことを始めるより、始めない("やらない")ことの方がはるかに難しい、そしてそれ以上に既にやっていることをやめることはさらに難しいなと思いました。
既にやっていることをやめることの方が難しい旨は、検索すると記事がたくさん出てきますし。自己啓発本やビジネス本を読んでもよく出てきます。個人レベルの話にとどまらず「事業撤退」とビジネスの文脈でも語られています。
様々なことが書かれていますが、個人レベルでは「これまで費やした努力が水の泡となるから」と言ったあたりが大きいのでしょうかね。ギャンブルから抜け出せない心理も同様だと。
それを踏まえ、新しいことを"やらない"選択を取る難しさ、既存のことを"やめる"難しさは、自分の未来の可能性を断ち切ることの恐怖から来ているとも思います。
意外とやればできるからこそ、断ち切れない
新たにチャレンジすることに関しては、ポジティブな言葉で語られることが多いです。
「興味を持ったことは取り組んでみよう」「才能なんて決めるな。どんどんチャレンジしよう。」
確かに、何が向いているかなんてやってみないとわかりませんし、どこで点と点が結ばれるかなんてその時になってみないとわかりません。
好きこそものの上手なれということばも、興味を持って取り組み追求した先に待っています。
こんなポジティブな言葉が溢れているからこそ、取り組んだどれもに「いつか花開くんじゃないか?」と自分の未来に可能性を感じてしまう。
努力の大切さと「意外とやればできる」という小さな成功体験を知っているからこそ、未来を捨てられなくて、やめられない。
すくなくとも、僕はそうです(下手したら壮大な勘違いをしているのかもしれませんね)
興味の風呂敷を広げることは重要です。
ただ、花開くまでは努力の時間と量、加えて質が必要になってきます。
だからいつまでも風呂敷を広げってぱなしでは、なかなか深みなんて出てこない(到達点の定義が人によって違うので、人によっては満足するかもしれません)。一昨日書いた通りです。
僕が好きな漫画「進撃の巨人」で、特に好きなセリフがあります。
何かを変えることの出来る人間がいるとしたら、 その人はきっと、大事なものを捨てることが出来る人だ。
何も捨てることができない人には、 何も変えることはできないだろう。
一昨日紹介した羽根田選手のコーチのセリフもそうですが、何かで突き抜けるにはそのことに向き合って、時間と量と質をかけて取り組んでいかなければいけないのかなと。そのために、他に可能性を感じるものを断ち切らなければならない。
(もちろん、"取り組み方"も重要ですが、ここではまた別の話になるので。)
最後に
一昨日も書きましたが、僕自身がいま何に取り組んでいくべきか迷っています。
そんな心境を書いてみました。こんな景色を見たせいかちょっとセンチですね笑。
それでは今日はこの辺で。
それでは!